SprinteR -緋色の欠片-

SprinteR -緋色の欠片-

想う事 見る事 感じる事 願う事 言葉 小さな欠片だけれど ひとつひとつが 大切なもの

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光のない闇が続く深い森。



暗雲が広がるその闇を、激しい雨がすべての音をかき消す様に木々を激しく打ち付けて音を立てる。

冷え切った空気に白い息が絶えずこぼれ落ちる。身体を温める筈のローブは雨の水分を含み、ずっしりと重みを増していた。水と土の混ざりあった匂いを強く吸いこみながら、あがりきった息を整える間もなく、泥濘んだ地面を走り続けた。




(何故、こんなことになったのだろう)



見えない先に感じる不安。

次の瞬間、焼き付いた過去の記憶が断片的に再生され、破れた靴から覗く指先に視線を落とす。冷え切った指先が滲み出た血と混ざりあう泥を確認して恐怖に囚われない様にと乱れた心を整わした。




「……ッ!」



ぬかるんだ土が足にまとわりついて足を引っ張ると、身体ごと地面に転がるりこんだ。

跳ね上がった雨水と泥がぐっしょりと顔にへばり付いたのを、その腕で拭う。衝動で深くかぶったフードが脱げると、足元にたまった水面にどろだらけの自身の姿が映った。

暗闇にひかる銀色の髪。頬に映る、まるで鋭利な刃物で切りつけた傷の様な黒い痕。

赤く腫れた瞳からとどまることなく流れ落ちる雫を雨水と一緒にぬぐうと、手のひら握りしめて映る水面を強く殴った。




(父さん、母さん……)



振り返る過去。

耳を切り裂くような叫び声と、追いかけてくる馬の蹄の音は、幻覚だとわかっていても払いきれない。瞳を閉じても追いかけてくる十字架を背負った炎が消えることはなく、冷えた体をさらに震わせた。

怖い、わけではない。自分が少なからずも異端である事は理解しているから。でも、異端であるからこそ、救えなかった自分の無力さを嘆く。


――逃げなさい

口数の少なかった母が最後に叫んだ声が脳裏に響く。




(……助かるべきではない)



震える手で身体を起こしながらも、矛盾した気持ちを振り払う。

擦り切れた服の隙間から覗く傷が赤く血を滲ませて、所々黒い染みを作る。

無理やりにも不規則な息を整えようと深く呼吸を刻んで、一歩と足を動かす。だが、冷え切った身体にはもう力を入れる事が出来ず、崩れるようにその場に倒れこんだ。



寒い。

冷たい雨は強く、倒れた背中に降り積もった。




(ぼくはここで死ぬのだろうか……)



それでも構わないと静かに双眼を閉じると、また馬の蹄の音が聞こえてきた。






「……い……とめておくれ……!」





雨音とともに流れた声が聞こえるともに、馬の鳴き声と車輪が止まる音が聞こえた。

馬車を降りてきた主が僕を抱きかかえて頬を軽く叩く。






「きみ!意識はあるか?!」





微かに双眼を開く。

揺れぼやける視界の先に、長い黒髪が覗きこんでいるようだ。

流れ落ちる濡れた黒髪が僕の頬をくすぐるように滑った。






「意識はあるようだね……身体が氷のようじゃないか!御者、彼も乗せたい。あと何か毛布はないか?」





慌てながらも急いで荷物入れから客用のひざかけを何枚か出してかけよった御者は、髪色に気付いてぎょっと目を見開く。




「……とにかく、大分衰弱してている。乗せるのを手伝っておくれ」






それに気がついてか、御者の言葉を遮るように黒髪は僕を抱きかかえて立ち上がる。
その腕がひどく温かくて、僕はその瞳を深く閉じた……。









* * *



断片的な記憶。断片的な映像。



闇夜の星空まで昇り透き通る母の歌声が、ずっと、ずっと、優しく聞こえる。



父と母の優しい手のぬくもり。そして……







――ねえ、いつまでうつむいてるの?




懐かしい友の声。

振り返ると、そばかすの少年はまっすぐ僕を見て微笑む。

こぼれ落ちそうになる涙を必死にこらえてその手を伸ばす。





――ねえ……なんデ、タスケテクレナカッタノ?




あと少しで、彼の肩に触れるはずの指が耳を見張る言葉に動揺して止まる。

それを見て、その笑顔は三日月の様に醜く歪み、僕の手首を捉えて、強く握り絞めて身体を引きずる。





――ネェ、ナンデ君ダケ、イキテルノ?




耳元で囁かれる声が纏わりつく。

息ができるはずなのに、苦しくて、その目を強く閉じる。









――【悪魔の子】を探せ!!【災いを持つ子供】に洗礼をあたえよ!!!




松明の火が弾ける音。

協会の鐘が酷く鳴り響く。



気がついたら母の手にひかれて逃げ走っていた。

暗闇の街をかけぬけて僕の手を強く引いた母の背中は、迷いなく、とても、まっすぐで。




(嫌だ……やめて……)



街の明かりもかからない深い森の入り口まで逃げた時、母は首元からずっとはなみはなさずもっていた2本の百合と真ん中に神馬が木彫りのネックレスを外すと僕の首にかけて僕を抱きしめる。






(もう、見たくないんだ……!)




――逃げなさい




微笑んだ母の最期の言葉。

十字架を背負った騎士のはじいた矢が流れるように目の前にあるその背を貫いた。

瞬間、全身を戦慄がかけめぐり、震える唇から嗚咽とも、叫びとも言えない様な声が漏れる。




崩れ落ちる母の身体。

耳を引き裂くような苦しい声。


それでも母は僕の背を強く押して。



声ごと息を飲みほして、走る。



走って、走って。




ただ、後悔と自虐心が僕を苛まれる。




(どうして ぼくだけ いきてるのだろう)



闇が僕の喉を強く締めてる。







(苦しい……)




苦しい。

苦しい、苦しい。







だれか たすけて。