すごく乱暴に分けると、戦争エンタテイメントには
1.相手は人間じゃない
2.相手も人間
の2種類がある。
1.の相手が人間じゃない場合、およそ話し合いが不可能なので外交は失敗する前提。ガチで戦争して勝敗を決することになる。どっちかが全滅することになりがち。
2.まあ戦争にならないことにはロボットもヒーローも出る幕がないので戦争は必ず起きるんだけど、相手と話し合う余地がある場合、和平交渉をもって戦争が終結する可能性もあるわけだ。
セカイ系の定義とか細かいことやってると長くなるんでこれも乱暴に済ませてみるけど、どこの誰に話つけに行けばいいかわからんから結局話し合いにならんって意味では1なのかもな。
2で外交の余地を描くのがリアルロボットものだって考えた場合、脚本がギャグ満載だからとかメカやキャラがSDだからリアルじゃないとかいう分類は成立しないということに。
つまり『エヴァンゲリオン』はリアル系に分類されない。黒幕は人間かも知れないんだけど、どこの誰に話つけたらいいのかわからんので結局使徒と戦うしかないっていう味付けはあるのだが。これはネルフが科特隊とかの特撮系防衛組織に性質が近いことからもわかる。そして特撮怪獣というのは大抵、『ゴジラ』のように環境保護問題を内包している。寺田以降のSRWがそういった方向性を持っている以上、おそらく(あるとして)『SRX』や『龍虎王』の本編では「交渉」の余地は限りなく少ないはずだ。
初期SRWも戦争ものである以上、描かれる主体はドンパチではあるのだが、よく見れば「外交しようとしたけど失敗したので今こんなことになってます」という前提条件がちゃんと存在している。
だからビアンが環境オタクにされてた『DW』はコレジャナイって思われてしまうのだ。考え直して『OGIN』には連邦大統領周辺の話が入っているが、入れたはいいがどう見せるのか、これが難しいところ。
ちちが揺れるとかボイスくどいとかメカがぐりぐり動きすぎて戦闘カットボタン付けるとか表向き見える齟齬は表面化しやすいが、実は一見地味なこのへんのところがSRWプレイヤーの客層変遷に結構な影響を与えていると思っておるのだが、どうかね。